マリアロケット スローライフ&ボクシング女子o(^_-)O

日々のことやボクシングの事、統合失調感情障害の病状を書いていきたいと思います

おばちゃんアマチュアボクサーの
練習模様やオリジナルハンドバッグの出品、心の風邪の治療状況を
アップしております

あの頃。。。9

なんとなくで、書き始めた「あの頃」もう9話までになってしまいましたf^_^;

お付き合い頂いてる方々ありがとうございます。

多分、後、少しで終わると思います。

宜しければもう少しお付き合い下さい。

もしよかったら、ナイスを押して頂けると

励みになりますm(_ _)m






母は、良い意味でモテる女性、

悪い意味では、男が居ないと生きて行けない女性

なのかもしれません。


私が中2になって弟と二人で母に引き取られた時、

転校は、小、中9年間の間でもう5回目になっていました。

なので、私には

幼なじみも昔からの友達もいません。


引っ越したアパートは、お世話にも綺麗とは

言えないアパートでした。

ボロ長屋の時に来ていた、おじさんはA

次に母と一緒にいた、おじさんをBとします(笑)

Bは、デブで禿げで何処が良いのか私には理解出来ませんでした、結果的にはロクでもない奴で

私の貯金箱から小銭を盗むような奴で、

大嘘つき、私に犬を買ってやると言ったまま半年位で居なくなりました。



母は、昔で言うキャバレーみたいな所で働いていて

ほとんど、休む事もなく、たまに一カ月に1回

お店を休む時は、私や弟を連れて、

何故か飲み屋さんに連れて行ってくれました。

初めてホストクラブに行ったのは高校生の時で

これも母に連れて行ってもらいました。

後にも先にもホストクラブに行ったのは

この1回だけですが。



私が中3になる頃、今度は「おじさんC」がうちに来る様になりました。Cは母が働く店のバントマンでした。

母の店が終わると、Cはアパートにきていました

それが何時からか毎日来る様になりました。

穏やかな人でおじいちゃんみたいな人でしたが、私にとったら、

ウザい存在。。それでも話しを合わせて

普通にしていました。でも話していくと

Cの息子も私と同じ歳だという事がわかりました

また、妻子持ちかよって思って

母に辞める様に言っても、

「奥さんは、酷い人で、もう別れる寸前まできている」

とか何とか、私の話しなど

聞き入れてくれませんでした。


私はその頃、受験勉強真っしぐらで、大学には行かないつもりでいたので、公立の服飾デザインのある高校に進学を希望していたのですが、

通える範囲内では一校しかなく、

小学校終わりから中2位まで

ほとんど学校に行っていなかった私の頭では、

ギリギリが無理と先生から言われていました

なので、一生懸命、夜遅くまで

勉強をしていたのですが‥

それを知っているにもかかわらずに、

母は毎晩夜の12時近くにCを連れて

家に帰ってきました。


自分の部屋こそありましたが、小さなアパートでは

ボソボソ話し声か聞こえてきます、

娘が、必死で受験勉強しているにもかかわらず、

なんで、毎晩連れてくるのか⁉︎

母もギリギリか危ない!というのを知っていて

私に家庭教師まで

つけてくれているのに、何故?です


私は大事にされているのか?

そうじゃ無いのか❓


母に怒りが込み上げてきました。

一度母に、デートしたいなら

家に連れてこないで、ホテルでも、

飲み屋でも、二人で何処にでも

行けば❗️といった事がありました。

(やっと嫌な事は嫌と言える歳になりました)

母の返事は、

「二人共お金が無いから、

そんな毎日お店に行けない」

という返事でした

確かに、私や弟の為に働いていてくれているのはわかります、でもそれとこれとは話が違う❗️


散々、嫌なだと主張して、やっと連れて来なくなりました。母の帰りも遅くなり夜中3時近かったと思います。

でも母から

「あんたが嫌がるから、この寒いのに

お母さん達は近所の大きな

公園で敷物を椅子に退いて、話してるんや❗️」


と言われました。

私が悪いんですか?って感じです。


必死で勉強してなんとか希望高校に合格する事ができました。

因みに

Cの息子は公立高校は落ちたそうです


高校はお弁当でした、最初の時こそ

母はお弁当を作ってくれていましたが、

だんだん、お弁当も作ってくれなくなってきました

母曰く

「毎晩遅く帰ってきて眠いのに目をショボヒョボしなから、あんたのお弁当を作ってやっていた」

だったら、男と会ってないで、お店が終わったら

直ぐに帰ってくれば良い事です。


もともと、母は、お弁当を作るのが本当に

苦手で、一度小学校の時、遠足でお弁当だった時

リュックサックからお弁当を出したら

なんだかゴソゴソするし、重い、

蓋を開けてみたら、白いごはんと、

ホテイの「焼き鳥の缶詰、」❗️が入っていました。



こういうやつ↓



そして、

缶切り!も、入っていました。昔は手でパコンと開けられ無かったので、缶切り、が入っていたのです

いまでこそ

笑い話かもしれませんが、

みんなが、タコさんウインナーや玉子焼を食べ始めてるのに、私一人、キコキコ、缶詰をあけてお弁当⁉︎を食べていました。(u_u)


高校に入学すると、また母はCを連れてくる様になりました。



母への反抗期もマックス、私の内蔵もマックスで悪くなり、高校三年間で胆のう炎、

急性胃炎、十二指腸かい炎、急性胃腸炎

などあらゆる病気をしました、そんな病気を抱えていても、母はもう高校生だからと、病院に付いてきてはくれませんでした。


一度診察中に、体調が悪くなりベッドで休ませてもらっていた時、一人で帰れなくなった私の為に

看護師さんが、母に電話をしてくれました

看護師さんがビックリしていたのですが

母は、一人で歩けない位の病状を説明したにも関わらず、慌てる事も、心配する様子も無く


「あーそうですか、でも、直ぐには行けませんので

そのまま寝かせておいて下さい」

と言ったそうです。


そんな態度に看護師さんから不思議がられ

「お母さんって、本当のお母さんだよね?お母さんとうまくいって無いの❓」と聞かれました。

私は下を向くだけで答えられませんでした。


そして、数時間経っても、結局、母は迎えには来てくれず、

来てくれたのは、私と弟を手放したタクシー運転手の実の父でした。仕事中、時間が空いた時に来てくれたのです

母から連絡があり、私を迎えに行くように父に頼んだそうです。

たしかに母は、免許証を持っては

いませんでしたが…


その後、私は入院しました。

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