マリアロケット スローライフ&ボクシング女子o(^_-)O

日々のことやボクシングの事、統合失調感情障害の病状を書いていきたいと思います

おばちゃんアマチュアボクサーの
練習模様やオリジナルハンドバッグの出品、心の風邪の治療状況を
アップしております

「あの頃。。。,12」

旦那さんは、良く言えば優しい人

悪く言えば優柔不断、

子供の事や日常生活の事を

相談しても、

「俺、分からんから〜」

「おまえが決めて〜」

でお終い。

私が、少しは考えて!と声を荒げると

黙ってしまいます

そして、旦那さんは黙った時に、

部屋の柱にもたれかかっていると、

何時間でも、立ったまま壁にもたれ

キッチンテーブルの横に立っている時に

私が、こーして欲しいんだけどと言うと

自分が気に入らない時なども

ずっとそこにいて、黙ったままそして

立ったまま動かないのです。

2時間も3時間もそのままなのはザラでした。



そこからずっと動かない、喋らない

旦那さんに、イライラが爆発!

そして怖くなりました


旦那さんは何から何まで私任せでした。

仕事はちゃんとしてくれていましたが

いつも午前様でした。

会社でやる事が無くても、

誰か一人でも会社に残っている人が

いると、帰って来れない人でした。


でも、仕事は真面目な人だからと

自分に言い聞かせていましたが。。。


その頃から、

私はだんだん、旦那さんと一緒にいるのが嫌になってしまい

昔やっていたバンドを再開させました。

旦那さんが休みの時に数時間だけ子供を見てもらい

出来るだけすれ違えるように、


バンドは楽しく、

ストレス解消にはもってこいでした。

私は愚痴を言わなくなり

機嫌良くしていました。

そんな時、こんな一言を言われました


「俺が知らない所でマリアが楽しそうにしているのがムカつく!」


と…


この一言で私は旦那さんから、心が離れました。


その後、私は、この人が居なくても

金銭面さえクリアできれば

私一人でやっていける。

と思ってしまったのです


ギャンブルでも無く、女でも無くです


本当に我儘な理由です。



離婚して私は

子供達を引き取り、3人でアパートで

暮らしました。

娘、10才、息子2才半でした。


その頃、両親は三階建てのプチ2世帯の家を買い

二人でそこに暮らしていましたが、

わたしに戻って来いとは言いませんでした。


まあ、娘が転校をしたくないと言っていたので、

丁度良かったのですが。


母は一緒に暮らさない代わり、いろいろと

面接をみてくれました。

よく、子供達を預かってもくれました。


私も頑張って働きました。

ガソリンスタンド、電気の量販店、スナック

中部電力のコールセンター、携帯の中継機の設置の仕事、1日に3箇所、掛け持ち働くのが当たり前、

子供達には寂しい思いをさせてしまったかもしれませんが、いろいろな物や洋服には、不自由な思いを

させない様に頑張っていました。


何年かしてやっと、

普通❓の生活が出来る様になった頃


また、思い掛けない事が起こりました。


何年も会っていなかったタクシーの運転手をしていた実の父が

出勤途中、脳の血管が切れ、側道の

ブロック塀に激突し、

死んだと連絡があったのです


即死でした。


通行人を巻き添えにせずに済んだのが

せめてもの救いでした。



でも実の父は迷惑なお土産を残していきました。

それは、サラ金での借金、

しかも、ウン百万!

私や弟を手放してから、

付き合っていた人はいたようですが、

一人で暮らしていたのに、

なんで、そんなにも借金をしていたのかは不明です



必然的に、その借金は実の子供の

私と弟にきました。

実の父の親戚と私達で弁護士さんを雇い、

相続権を全て放棄し、

事なきを得ました。

それからは実の父方とは、

縁を切り、

私も弟も、お墓の場所さえ知りません。

なので、お墓参りにも一度も行っていません。

親不孝者ですよね。




これが、


「あの頃。。。」


私の、いわば


約、30数年


戦争?です。

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