マリアロケット スローライフ&ボクシング女子o(^_-)O

日々のことやボクシングの事、統合失調感情障害の病状を書いていきたいと思います

おばちゃんアマチュアボクサーの
練習模様やオリジナルハンドバッグの出品、心の風邪の治療状況を
アップしております

あの頃。。。8

なぜ、父が飲みに行けたのか⁇

そのお金はどこから❓


答えは、母から私と弟の養育費を

貰っていたからでした。

そして、お金がないが無くなると

私や弟が、ひもじい思いをしてると、

脅し❓てお金を貰っていて

そのお金は

母が夜の仕事をしてお金を工面してくれていたそうです


たまに母と面会した時は

私も弟もボロボロの服を着ていたので

上から下まで、新しい洋服を買ってくれました。

いつもボロボロの服を着て学校に行き

男子によく馬鹿にされていたので

凄く嬉しかったのを覚えています。


私は小学校の頃から新聞が好きで

意味がわからなくても

隅々まで目を通していました。

そうしたら、ある日火事の記事が載っていて、

2人の幼い子が焼死したという記事でした

よく読むと、なんと火事をおこした家の世帯主は、

母と暮らしていたボロ長屋にいた頃

夜中にうちに来ていた、「おじさん」の

名前でした。おじさん結婚してたんだ、

そして子供がいて、火事で死んでしまったという事をしりました。


そのおじさんの事を父や父方の祖母も知っていて

2人でバチが当たった的な話をしていて、

、不愉快な気分になり

嘔吐しました。





私が小学校6年の終わり頃


父が何回か飲みに行くうちに、

とうとう、知らない、おばさんを、家に連れてくるようになりました、

それもそのおばさんの

子供まで。。。

幼稚園位の子でした

そして、泊まっていくようになり、、、

せっかく、「それ」、が嫌で母から

逃げて?きたのに

またかって感じです

救いなのは部屋が分かれていたので

とびらを閉める事が出来たこと


リビングに、父と弟、知らないおばさんとその子供

私は自分の部屋


泊まっていったよく朝、

幼稚園の子が私に

「夜中、おじさん(私の父)がお母さんの上にのってたんだよ」と言ってきたのです…。


思春期の私には、気が狂いそうな位の嫌悪感が全身を襲ってきました。




私はどんどん、おかしくなっていきました。


記憶も、途切れ。。。途切れ


そのれから全然眠れなくなり

小学校6年生で初めて、睡眠薬を飲みました

その頃はまだ厳しく無かったので

小学生の私が薬局に睡眠薬を買いに行っても

普通に売ってくれました。

所詮、薬局で売っている薬なので

ほとんど効きませんでしたが

それでも、飲み続けてました。。。

眠いのに眠れなく、イライラし

部屋の物を手当たり次第投げつけて壊し

頭を抱えて布団に潜り毎日泣くだけでした。


父は怒る事も、なぐさめる事もせず

私をそのままほったらかしでした

どうして良いか分からなかったのかも

しれませんが。(そう信じたいです)


学校にもほとんどいけなくなり

その、精神状態のまま中学生になりましたが、

完全に捻くれ者の私にやはり居場所はなく

中学にもほとんど行きませんでした。


見かねた父親が、学校に行く様に言ってきても聞かず、ただ、ただ、睡眠薬を飲む毎日に。


そして、生きていく事も、毎日イライラして

物に、当たり散らす生活に疲れはて、

ためておいた睡眠薬30錠位を一気に飲み


初めての「自殺」結局は「未遂」をしました。

13才の時。


結局、目が覚めてしまったのです


その頃、ほとんど食事を取らなかったので

私の胃がビックリして、寝ている間に嘔吐してしまってました、

嘔吐したグチャグチャの物の中に顔を突っ込み

ツンと鼻をつく胃液の匂いがして

頭が死ぬ程痛く。。

1人で洗面所にいき顔を洗いました


なんだか、凄く、惨めでした、


父も母も私がした事は知りません

誰にも知られず、自殺未遂、失敗。。。


それから、どうしたのか記憶が途切れています。


中学の終わり頃には

私も、小学生の弟も、学校にも行かなくなり

父のゆう事もきかなくなりました


それが何ヶ月か続き

突然、父が親権を放棄しました

私と弟を児童養護施設に預けると

言ったのです。


私にしたら、もう、どうでもよくなっていました

まだ、弟と居られるだけ幸せだって思いました。


荷物を整理し荷造りをして

準備を終えたある日

母が迎えにきました。

私と弟を引き取りにきたのです。


嬉しかったです。

弟と母と3人で、暮らせる

そう思ったら、


また知らない別のおじさんが

一緒でした。。。

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