マリアロケット スローライフ&ボクシング女子o(^_-)O

日々のことやボクシングの事、統合失調感情障害の病状を書いていきたいと思います

おばちゃんアマチュアボクサーの
練習模様やオリジナルハンドバッグの出品、心の風邪の治療状況を
アップしております

あの頃。。。7


小学校五年生の終わり頃、

正式に離婚が決まりました。


私はどちらに付いて行くか聞かれ

父と答えました。


母は、私が父に付いて行ったのは

自分の部屋が欲しいからだと思っていました。

今でもそう思っているとおもいます


勿論、そうじゃありません

夜中に寝たふりをするのも

頬をぶたれるのも、もう嫌だったから。。


そして、まだ小さかった弟は母と

私は父と暮らす事になりました


引っ越しは私が六年生になってからでした。


はじめは、県営のアパートで先に

私が小さい頃預けられていた父方の祖母と、

父の弟の叔父が

暮らしていた部屋に転がり込む感じでした

叔父は、結婚が決まっていて、一カ月後に

祖母も一緒に中古住宅に引っ越しが決まっていたので、その後、私と父で、そのアパートの部屋で

暮らす事に。


はじめは、自分で決めた事でしたが

母と離れてみたら、凄く寂しくて、寂しくて

夜中にお布団をかぶって、泣いていました。

やはりどんな母でも母は母、嫌いにはなれませんでした。


でも、父が叔父に、今は、

「〇〇より(弟の名前)マリアの方が可愛い」

と言っているのを聞いて、

寂しさを我慢し、父の前では普通に過ごしていました。


小学校生活6年間の間に4回もの転校をした私は、

やはり学校に馴染めず、いじめの対象に

私の名前を書いた、お位牌、を作られ教室に

置かれた事もありました

しかし担任の先生は別段、作った奴を

怒るわけでも無く

「片付けなさい」の

一言だけでした。



毎日辛かったです。




父は、タクシーの運転手をしていて、

一回の勤務が24時間勤務で

朝、私を学校に送りだし

8時に出勤、次の日の朝8時まで帰って来ません。


始めの頃は、近くに住んでいる父の姉、叔母の家に

預けられていたのですが、受験生のお姉ちゃん(従姉妹)がいて

いつもイライラしていて、いづらく

1人で、アパートにいるからと父に言って

そこに、預かってもらうのを止めました。


なので父の仕事の日は、学校から帰って来て、1人で宿題をして、レトルトのカレーを食べて、お風呂を沸かしてはいり、テレビを見て布団に入り、

朝、起きて、パンをかじって誰もいない部屋に、

行ってきます。と言って学校に行く生活でした。


父はとても私を可愛がってくれていました。

勿論、手を挙げる事も無かったです。



父と暮らしはじめて、一年もしないうちに、

全くどういう経緯なのか分かりませが

弟が父に引き取られてきたのです。

弟は小学校一年生


それから、アパートで3人の暮らしが始まりました。私も頑張って弟の面倒をみました。

父が仕事で居なくても弟が居てくれる様になり

寂しく無くなりましたが、

父の収入は少なく生活は苦しかったです、


父が仕事の日、一度アパートの部屋で

弟が怪我をして

泣き叫び

どうして良いか分からず、勿論その時代、

携帯なんか無く父に直接連絡出来ず、

慌てて私は

よく声を掛けてくれていた同じアパートの

おばさんに助けを求めました

おばさんは直ぐに部屋に来てくれて

弟を抱き締め手当てをしてくれました

幸い目の上を少し切っただけですみました

本当に有難かったです。


そのおばさんから、帰り際に、

食卓のテーブルに置いてあった夕食のおかずを

見て

「今日のおかずはこれだけ?」と聞かれ

はい、と答えると

「もっと、栄養のあるもの食べないといかんよ」

と言われました。


確かに、その日のおかずは、サラダだけでした。


父にそう言われた事を話したら


「なんで他人にそんな事言われなきゃいけないんだ❗️」と怒り、そのおばさんに助けてもらった事に

お礼も言ってくれず、私はおばさんに申し訳ない

気持ちでいっぱいでした。




当時[一杯のかけそば]という話がありましたが

あの話って、年末に母親と二人の子供が

お金が無く、一杯のかけそばを頼み3人で食べた

という話でした。

世間ではかわいそうな話として紹介されて

いましたが、お店で一杯を注文したら、最低300円くらいでしょうか?

私と、弟はお金が無く、スーパーで、

一玉、当時30円位の(今はもっと安いかな)

おうどんを買い、お醤油と、みりんでスープをつくり(勿論具なし)二人で分けて夕食を済ませた事がありました。

なので小学生ながらお店で食べるから高いんじゃん❗️と思って

何がかわいそうなのかわかりませんでした。




そんな生活をしていたにもかかわらず、

父は仕事が休みの夜、私と弟を残し

飲みに行くように、なりました。

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